《2021.2版》自由研究の「支援」について

どうも、まだ行けるかどうかも決まってないのに「カバキャンプのTシャツどんなんにしようかな〜」と考えてます、冨永です。

 

昨年は、いろいろ考え事も進んだ一方で、

我ながら「僕が話すことってわかりにくいな〜」と思いました。

 

「自由研究って夏休みのちゃうんかい」

に答えることもお仕事のひとつなので、「支援」について、のシリーズものに組み込んでおきます。

 

ざっくりまとめると…

■自由研究(探究学習)はアウトプットすること

■アウトプットには、MIをベースに支援してみます 

■勉強はインプットで、アウトプット/インプットの両方やるのが大事だよ

自由研究(探究学習)は「アウトプット」すること


これがいまの「サクッとした自由研究の説明」ですが、

このことに気づいたコトの発端は、

「言語を使わない内省は実現しうるのだろうか?」

という問いでした。

 

これまで言語に頼りすぎていたところがあったのですが、

ここのところ、言語にはかなり限界があるな、と実感しています。

 

この実感に合わせて、

「MIを個別のまなびの支援に活用すること」

をぼんやり考えていたのがつながりました。

 

MIはマルチプルインテリジェンスという能力(理論)の略ですが、

僕的な解釈としては、

心地よい表現方法の組み合わせ

ということです。

だから、支援を考えるときも、

「それぞれの能力に合わせてどの部分にフォーカスすると心地いいんやろう?」

ってことを考えてます。

 

ここで、自由研究においては

心地いい=あらゆる活動の「しやすさ」

で良いと思います。

 

だから、支援としては、

かなりMIを意識したものをしていこうかな〜と思っているところで、

レーダーチャートの出っ張ってるところは、より気持ちよく、

レーダーチャートのへっこんでるところは、少しひっぱるように

支援してみたいと思います。

 

ちなみに、

いま保護者のみなさんにお願いしているマンスリーコメントもここを意識してます。

 

「アウトプット」に合わせて、その技術も確立してほしい


それと合わせて、大事なのは、

アウトプット(=自由研究)するときの心地よさを再現するために自分なりの理論をつくること

です。

「こうすれば、自分はゆたかにまなんでいけるぞ」

があるとやっぱり強いよな〜というところは全くぶれない。

 

ちなみに、はじめに戻るけど、

これ(自己分析)に関してはやっぱり「言語」のところで悩んでいるところでもある。

どうしよっかなー、と思っていますが、

模索し続けようと思っています。

 

対して、勉強は「インプット」


ここで書くべきかどうかはわかりませんが、

アウトプットの対極としてのインプットは何なのか、も少し書いておきます。

 

インプットは何かというと、勉強です。

その内容は、パッと考えたところ、

■知識・スキル(語弊があるかもしれないけど、読解と算数)

■視座

の2つ。

 

前者は、「一般的・一意的な言葉の意味や、その関係性について理解する」ということ。

例によってこれは科目とか関係ありません。

 

 

で、後者がけっこう大事だなーと思うんですが、

これは「他者の立場になって考えてみる」ってこと。

歴史とか環境問題みたいなことって、

自分事じゃないのでやっぱり実感はしにくい(環境問題とかはそうでもないかな)。

じゃあ、別に知らなくていいかって言うとそうではなくて、

ときに「一般教養」として扱われることもあるので、

例えば、

第二次世界大戦がどういう結末を迎えたか、

とかは知っておいたほうがいいわけです。

 

そういう意味で、学校では、こういったことを

「興味の洪水」

としてウワァーーーっと流してくれるので、

とりあえず受け捌いておくってのは大事だと思います。

どこに興味をもつかはその洪水の中にいないとわからなかったりもするし。

 

インプットとアウトプットを区別して。


支援についてのページなので、

そこにふれて締めておきたいと思いますが、

自由研究/勉強の区別はこれまでより強調しようと思っています。

「あ、今はアウトプットか」「次はインプットね」

と区別しておくと、

整理もしやすいし、

それこそ心地いいのかな〜なんて考えてます。

 

まとめ

■自由研究(探究学習)はアウトプットすること

■アウトプットには、MIをベースに支援してみます 

■勉強はインプットで、アウトプット/インプットの両方やるのが大事だよ