今年はうまくいってると思ったのに、、、

前回に引き続きタイトル通りです。サムネイルがアゲハじゃないですが、アゲハの話です。

みなさんも外から幼虫をとってきて飼育する場合にはお気をつけあそばせ、という話。

 

幼虫の回収

春になって先にアゲハを発見するのはやっぱり幼虫よりも成虫の方。

「あ、今年もアゲハがとんでるなー。忙しくなるぞ。」

と覚悟を決めます。

oranjeには教室を始めたときに植えたミカンのタネが大きく育ち、

いまとなっては葉っぱがもりもりついてるので、

お母さんのアゲハチョウがここに卵を産みつけてくれます。

こんな感じで▼

一週間も経たないうちに、これが孵って大きくなって、またチョウになってどっかに飛んでいく。

とんでく前、幼虫が少し大きくなったくらいで、回収しちゃいます。授業で活躍してもらいますから。

 

タイミングがけっこう難しくって、

・早すぎると葉っぱの調達が大変(新芽とか柔らかいのをあげ続けないといけない)

・遅すぎると天敵に食べられちゃったりする。

 

問題は回収した後

回収したら、はじめは小さなカップ(うちでは味噌カップが多い)に入れて、

そのあと、4~5齢幼虫くらいまできたら、食器乾燥器にいれて飼育します。

 

モリモリ食べてぐんぐん大きくなって、さなぎになったら、

よし、もう後はほったらかしでチョウになるのを待つばかり、、、

と心を躍らせて待つわけです。

ところがどっこい

これがそうでもないんですよねー。

ある日、飼育ケースの中でやたらとブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブン羽音が聞こえるんです。

はい、ジ・エンド。

やられた。アゲハヒメバチや。

 

とは言え、

アゲハヒメバチからしても命がけなわけなのでナミアゲハばっかり大事にするわけにもいきませんからね。

まあこんなこともありますな。

 

人間は「自然の中」か「自然の外」か

Bookの方で紹介した「葉っぱはなぜこんな形なのか?」の最終章には、著者の小見出しについての自論がありました。

とっても難しいなあ、と思いますが、

僕らみたいに昆虫、あるいは動物、あるいは植物、あるいは菌類を飼育する立場にいれば、

ここは「確かに、少しでも考えて暫時的なこたえをもっておかないとな」とも思いました。

僕は休みの日には山に入って走り回っていますが、そのときは「自然の中」にいる気分になります。

(ほとんどそんなことはないと思いますが)「今ここで遭難して死んでしまって誰にも見つからなかったら」と思うと、

土に還っていって、誰か(分解者)が分解してくれるんだろうなーと思います。

「そんな大げさな」と思う方もいるかもしれませんが、これ本当にそう思う。

森を走ったり、海に潜ったりするとなんとなく「死」を想像して確かな「個体」である実感を得ます。

 

一方、アゲハみたいに「飼育」すると「外からの立場で見ている感」はぬぐえません

もの扱いは決してしていませんが、それでも「立場の違い」は否応なしに突きつけられたりします。

子どもたちがケースのアゲハチョウを見て、たまに「かわいそう・・・」なんていうのですが、

そのときは実はひっそり少し心が痛かったりする。

 

これに関しては納得するまで考えて行動に移せたらなあと思います。

 

▼今飼ってるアゲハチョウの数はこんな感じ。卵はいくつかの小学校に送られたので何回かガクッと数が減っています。