科学者は昆虫がお好き?

世界ではノーベル賞受賞者の発表があり、日本人受賞者が出れば4年連続ということで、そこの関心は各メディアで見られますが、
すでに発表された医学生理学賞や物理学賞の内容については、どこ吹く風な感じがもんのすごい違和感がありますね。

 

 

まぁ今回はそこはスルーするとして、
著名な科学者に関する幼少期の話しでこんなの聞いたことがありませんか?
「ちっちゃいころは、虫捕り少年で朝から晩まで野山にいました」的な話。

 

著書〈バカの壁〉で有名な養老孟司さんや、バラエティにも出演されてる脳科学者の茂木さんも昆虫少年だったようです。

 

そしてそれに続くのが、だいたい、
「やっぱり偉大な科学者になるには、子供のころからそういった経験をするのが大事なんですね」
みたいな、いつ・だれに対してもされる同じような感想です。

 

他に聞いたりすることないんかいとか思ってたんですが、まぁそれはそれとして、
確かに、科学者と呼ばれる人にかつての昆虫少年だった人がよくいるという話は昔からよく聞いてましたし、
因果関係はどんなところにあんにゃろな、と思ってました。
科学者としての素質に昆虫がどんなパワーをもっているのか、と。

 

ところでoranjeでは、アゲハチョウの授業をするためにアゲハチョウを飼育しているんですが、
この飼育を通して、前出の疑問、つまり〈科学者の素質と幼少期の昆虫好きの関係〉をある程度クリアにできたような気がします。

 

簡単にまとめると、次のような感じ。
1.モノを見ることから学ぶことができる。
→概念ではなく実態がある、ということは非常に大事だと思います。起こっていることや存在することそのものは否定できないので、「あ、そうなんや」で理解できることが山ほど出てきます。この、〈自分でした発見〉のうれしさはとても気持ちがいいです。

 

2.試行錯誤することで学ぶことができる。
→飼育の場合、ほとんどは目的があると思います。オスとメスを飼って「こどもをふやしたい」とか、「とにかく長く生きてほしい」とか。この目的・飼育の動機に貴賤はないでしょう。ただ、その目的は達成されることばかりではないので、失敗することも多々ですね。だから「次はああしよう」とか「こうやってみよう」が出てきます。そのうちトライアンドエラーが学び方として〈普通〉になってくる。しかも、試行錯誤の途中でたてた仮説に対して何か反応が出てくることもこれまた楽しい。

 

3.多様性の中で学ぶことができる。
→世の中のもので、〈単体でただ単にそこにある〉ものはほとんどないくらい少ないのではないでしょうか。少なくとも私は思いつきません。多様性とは相互作用のことだと思いますが、モノを対象にするとそれだけを見る、なんてことは実質不可能です。昆虫だったら、「エサは何がいい」とか「飼育環境はこうがいい」とか。そのおかげで常に関係の中で対象を知っていく、ということがこれまた〈普通〉になっていくんですね。すると、なんでもかんでもおもしろいと思ってしまうような気がします(ここは私の個人的な感想です)。

 


1~3が飼育を通して感じたエッセンスです。重複したりもっと細かく分類するべきかもしれませんが、とりあえずまとめてみました。
1,2は「見る→考える→確かめる→知る」というoranjeでも大切にしている科学の最も基本的な営みが凝縮されてますし、
3の関係を考えるっていうのは、小学校4年生(だったと思います)の理科の学習目標にもなっています。

 

このあたりの学び方が、家でできる昆虫飼育を通してできるんだなぁというのが実感です。
だから、ここまできて一番初めに戻りますが、【科学者がかつて昆虫少年だった】というより【昆虫少年は科学者になる素質が育ちやすい】という部分的な『逆』の関係だったんですねー。

 

最後に、最近読んだ本の中にあった、日高敏隆先生(滋賀県立大学初代学長で京都市科学センター所長なども務められました。)の言葉で締めたいと思います。
「最近は、いってみればネコなどの動物を通じて環境を知ろうというような研究や教育のアプローチが盛んだが、それでいいのだろうか。大事なことはまず、ネコはどんな動物か、犬とはどう違うのかを具体的に知ることではないだろうか。」