どうも、知的生産の技術にはまり過ぎてはじめたメモの習慣のせいで、「なんだこれは?」と首をかしげる朝が増えました、冨永です。
(なんか寝てる間に変なメモしてる)
実際、メモを取り出したらけっこういろんなことが「考えやすく」なったような気がして、
ちょっと「考え方の答えを得たような感じ」になりました。
そういや、「残し方」とか「考え方」って教えられたこともないし、
パートナーにも伝えてねーなと思いました。
「どんな状態が(何をしていれば)考えているって言えるんだろう?」と悶々とはしていたので、
少し光がさしたような気持ちになり、そこで改めて「支援」について考えてみようと思った次第です。
「支援の仕事は、先生や医者『ではない』ですよ」
2019年度の新年度に向けた説明会で、
支援の仕事は「先生や医者のような『のばす』『なおす』といったものではありません」
とお話ししました。
パートナーたちがこんな感じで論文書いてたら、
「ほいでほいで?」
って言うところです。
何がかというと、
「~~~じゃない」なら「一体何なんだ?」
ということ。
単に実験の補助や自由研究の方針の相談以外に「何をやるか?」というところは、
いまから思えば正直、不鮮明だったのかなと思います。
ごめんなさい、、、。
それはこれまでもそれなりに気にはなっていて、
「パートナーたちがどうなることを支援していたらそれは『支援』と呼べるのか?」
は明らかにしなければと思っていたところ、冒頭の「知的生産の技術」に出会いました。
超ラッキー!!
教育の職人性と知的生産の技術
僕もついつい「考えてみ」とか言って、
「考え方」も伝えないまま「考えること」を実践してもらいますが、
でもよく考えると、パートナーたちのほとんどは考えること自体「何をするのか」を考えたこともないと思います。
(少なくとも僕が小学生の時はそうだった)
で、それはメモとか記録を取るとかもそう。
先日パートナーたちに、「メモってどんなこと書いとけばいいか知ってる?」って聞くと、
(けっこうはっきり)「正直全然わからん」って言ってました。
メモといえば、これまでは、
とってもらったメモに「こういうのも書いとくといいんじゃない?」って付け足しとかしてたけど、
「それの良さが何なのか?」
ってことは語らなかった(語れなかった)ので、
「けっこう乱暴なこといってたんやなー」
と反省しました。
話はそれますが、これは日本の「教育の職人性」として語られることもあって、
「背中を見せる」ことで成長を見守る(期待する)タイプで、ある側面での「不丁寧さ」を象徴するものでした。
(最近、アカデミックな世界もそうなんじゃないかと仮説を立ててます。)
話は戻って。
つまり、知的生産(あらゆる考え事の体系化)の技術(方法)は、伝えられていなかったというわけです。
これは本当に大反省。
支援の仕事①小中学生が行う自由研究における知的生産の技術の体系化
だから、これからやる「支援の仕事」の中身の一つは、
A. 子どもたちが考えたことややったことを資料として残すこと
B. それを体系化して、形式としてパートナーたちが使えるようにすること
です。
実は、考察の書き方については、少し始めていてJambo!(自由研究相談会)でも導入しているので、
これがはじめの検証材料になると思いますので、またどこかで報告したいと思います。
考察の他はメモ。
①子どもたちにとってもらっていたメモを一旦廃止して僕がメモ取ること
②それをパートナーたちが見直して、付け足しをしていく
ことで、メモの技術を体系化してパートナーが使えるようにしていきます。
まさに、
「残すこと」と「考えること」を0に立ち返って考え直してみます。
支援の仕事②資質の発見と共有
あとは、資質について。
今年、資質と能力について改めて解釈がクリアになったんですが、
ここから「探究の評価」に繰り出してみようと思います。
これは、探究とか非認知能力とかいうまなびにおいては、
いまみんな競って開発しようとしていることです。(しらんけど。)
それにのっかるわけでもないし、「ガンガン評価しまっせ」という感じでもないので、
相変わらず鈍足牛歩でいきます。
まずは、探究のようすを資質としてキーワード化していくことからはじめてみたいとおもいます。
なんとなくですが、その後は、
①視点を多角化するために他者的メタ認知をする
②軸の作成と象限別配置
③実態との照合
くらいがToDoになるのかなーと。(しらんけど。)
ここは最前線のことなのでデリケートですから、ぼやっとさせておきます。
パートナーたちにも手伝ってもらいながらせかせか自由研究したいと思います。
★まとめ★
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