漫画でいうと第1巻の第1話がすきな代表の話し

春ですね。春はなんとなく雰囲気が「がんばるぞ」モードでちょっと苦手なんですが、

今年はコ□ナのおかげで(?)あんまりそのモードがないような気がしてちょびっとうれしい冨永です。どうも。

 

2020年に入って、「なんとなく」文章は早くから書き始めた方がいいんかなーと思い始めて、

Fパートナーとは研究を進めながら同時並行で論文を書き始めてるんですが、

なかなか文章をがっつり書く機会も少ないのか不慣れな子が多く見受けられます。

困ってる子には桃太郎の話と「起承転結」の話をするんですが、

そのがっつりした内容はパートナーズには学びの中でレッスンαとしてやろうかと思ってます。

ので、まあ今日は一旦おいといて。

ロゴ変えちゃった

 

「起承転結とかいってっけど、おめえの『起』はなんやねん」

というツッコミ(があるのかないのかも置いといて)に備えて、そこんとこを一度文章に書いておこうかなと思います。

後から見たら「あー、この時こんな言い方してたのか」とかわかるしね。

『起』 自分がしてもらって心地よかった支援

今の形の教育を「教育」として「いい」と思ったのは大学院時代のことです。

ここが「個人的な問いとか原体験をつなぎ合わせてくれたきっかけ」になってる感じですかね。

 

だから、院でお世話になった先生はじめいろんな人には本当にklkjんh・・・これまた今は置いといて。

 

「肯定感」というキーワードはこの時代にとても重要なパワーを持つ言葉の一つだと思いますが、

僕としては、修士論文を書くにあたっての授業実践の提案を先生にしたときに、その「らしさ」を認めてもらって

「あ、これ(この発想の教育)でいけば、たぶん自分は死ぬことなく働いて生きていけるかな、なんとなくいける気がする」

と思ったのが「肯定感」の感触に触れたときでした。

 

「感触に触れた」って言うのはまさにそんな感じ。

本当に触ったような感じがあった。

 

なんとかかんとか修論書けてにっこりしてる。これでも。 

 

このときのあの気持ちが本当に「きんもちぃぃぃぃいいいいい」ものだったので、

学部生の卒論のお世話なんかも「よし、あの気持ちになってもらえるようにやってみよう」と思ってやってました。

もしこの支援がうまくいっていたら

当時関わった学部生さんが、僕が感じた「きんもちぃぃぃぃいいいいい」を感じてくれたかどうかはわかりませんが、

もし、感じてくれていたとしたら、今僕がそうであるように、彼らはそのときの発想や気持ちを拠り所にして、

直接的・間接的に新しい自分へと変容し、新しい進路を進み始めていることになる。

これってたぶん「むちゃくちゃ素敵なことやなー」と思うわけですね。

 

この先、声を大にして語るか、そっと心の中で大事にしてくれるかは、もちろん本人さん次第ですが、

そのきっかけを見つけたときのそのすがたを一番傍で見れることができるわけですから。

下手したらご両親よりも先に見てしまうかもしれなくて(僕はたぶんそうだった)、

きっとむちゃくちゃ贅沢な経験をさせてもらうことになる。

 

とっても感覚的で、普段ならこういう言葉を使うのは好まないけれども、

きっとこういうのを「冥利に尽きる」とかっていうのでしょう。

第1巻の第1話を一番傍で見る仕事

そんなこんなで。

 

僕たちは、

「肯定感を持つことはきっと『ゆたか』に過ごすことに必要なことだ」という仮説を持ち、

「パートナーが、自分の内側にある『らしさ』から拠り所を自分で引っ張り出してくる(そして、肯定感を持つ)」ための学びを設計していきたいと思ってます。

 

そういえば僕は、幼いころから、漫画の第1巻の第1話を読むのがすきでした。

ルフィがシャンクスに「海賊船にのせてくれ!」っていうところ。

 

 

悟空がブルマと出会ってドラゴンボール探しに出かけるところ。

 

 

のび太の生活に突然未来からやってきたネコ型ロボット・ドラえもんが馴染んでいくところ。

 

今思うと、きっとその主人公がそのひとらしいストーリーを始めるきっかけになってるからかなあ、なんて思いました。

こんな想いでoranjeは生まれました。

これがoranjeの『起』です。